つれづれ通信 第25号 「3月5日」

2025年05月12日


3月5日は私の父の命日。
今年で13回忌を迎えました。

丸浜舗道の二代目である父を知る人は、だいぶ少なくなりました。

性格は一言でいうと、真面目。
何に対しても誠実なひとでした。
業界内で父の話になると、「お父さんにはほんとに世話になった」と多くの方が言ってくださりました。

バブルの末期、当社の大里の置き場にマンションの計画が持ち上がりました。
国母工業団地が近く、社宅として利用したい大手企業の引き合いもあり、絶対造った方がいいと言われていました。
私もその気になり、マンションの図面までできていたのですが、父はやめろと。
計画は直前で中止。そしてバブル崩壊。
当社は寸前のところで負の遺産を抱えずに済みました。
父の口癖は、「うまい話は世の中に存在しない」でした。

現在マンションが建つ予定だった置き場はセブンイレブンとなり、賃貸収入を得ています。
会社では資金の運用として、多少の株式投資をしています。
それどもお金は汗水垂らして手に入れるものだという感覚は、今でも私の心に組み込まれています。
企業の目的は、仕事を通じて世の中の役に立つことであり、その見返りが利益であり、それが社員みんなに還元されるものであるという本質は今も変わらないのです。

父は生前、自身が従軍した戦争の話を、事あるごとに語って聞かせてくれました。
始まると最低一時間はかかるので、捕まったらやばいと当時は逃げたものですが、今では父の中で伝えていかなければならない大事なものだったことがわかります。

「不易流行」、変わらず受け継いでいくもの、そして新たに変わっていくもの。
私たちにできることは、大切なものを引き継ぐと同時に風を読み、新たな時代を切り拓くこと。
そんなことを考えながら父の想いを感じた「3月5日」でした。