経営理念
- ずっと続く道
つながる思い
私たちの存在意義
日本の人口、そして山梨県の人口も減り続け、それにともない税収も減っていきます。
どこに住んでいても、誰もが最低限の利便を享受できる時代は過去のもの。限界集落は増え続け、過疎化の波に抗うことは不可能です。
小さな村までの道を整備するどころか維持することも困難、舗装・土木の仕事は地域から徐々に減っていきます。
需要が減る中、それでも舗装会社と呼ばれる会社は今もたくさんあります。
そういう意味では土木会社もアスファルト合材プラントもたくさん。
淘汰の時代、生き残れない建設会社が増えていくのは間違いありません。

私たちの存在意義は、どこにあるのでしょう。
私たちの舗装の仕事も、土木の仕事も、他の建設会社が同じようにできるのではないだろうか。
私たちがいなくなったとしても、悲しんだり困ったりする人はいないのではないだろうか。
私たちの家族は生活の糧を失うという意味で必要としているだろうけど、他の建設会社で働いたなら事足りると思ってはないだろうか。
私たちの固有の役割とはなんなのだろうか、私たちを選んでいただける理由はなんなのでしょうか。
丸浜の歴史
昭和4年、初代小林濱吉はどんな思いで創業したのでしょう。
おそらく創業は会社などと呼べるものではなく、土方を集めて仕事を請け負う小集団。
太平洋戦争を経て高度経済成長に伴うインフラ整備の一翼を担いながら急伸、会社が大きくなるも経営には失敗。しかしながらその真面目な人柄から再起の「道」をいただき、舗装に特化した会社へ。
山梨初の舗装会社設立は、大きなチャレンジだったことでしょう。次男である小林津久男を2代目として呼び寄せ、親子で堅実に一歩ずつ。時にはアスファルト廃材のリサイクルプラント設立など、時代に先駆け市場が形成される前から取り組んでいきました。
バブル崩壊後しばらくして公共工事の削減が始まり、合わせて当社の業績も大きく落ち込み、建設産業は淘汰の時代に入ります。苦難の道ではありましたが財務体質の改善に努めた結果のV字回復。その後ストリートプリント工法やトース土工法など新たな技術の取得。土木施工技術は外部に求め、出羽建設株式会社と合併を果たし今に至ります。

誰かが 私たちを必要としている
舗装の黎明期のこと、当社が地域で舗装工事を始めると沿道の方々が次々とお茶をだしてくれ、心から喜んでくれたと伝え聞いています。当時、少しでも雨が降れば道は泥にまみれ車もろくに走れなかったのが、靴も汚さず歩くことができるようになる、沿道の方が舗装工事をどんなに心待ちにしていたかは、想像に難くありません。
私たちの原点は、やはりここにあるような気がします。
真のお客様は、国交省でも山梨県でも市町村でもありません。社会基盤整備のために税金を払ってくれている、地域住民の方々です。
昔のようにお茶を出してもらうようなことはなくなり直接声を頂ける機会は少なくなりましたが、新たな道が通ったときはもちろん、車がスムーズに走れたり、河川の流れがよくなり、土が崩れる心配がなくなったりと、より便利により安心して暮らせるようになったと感じてもらっているはずです。
私たちをつなげてくれた先達
100年続く企業は0.003%と言われています。長い歴史の中で培われてきた技術、安心安全に対する誠実さは、一朝一夕ではたどり着けません。それをここまで築き上げてくれたのは私たちの先達です。
昔、ある村の工事を請負い、その支払いがなんと現金だったそうです。当時働いてくれていた女性事務員さんが集金で向かったのはバイク。その帰り道、ガタガタする道を高額な現金を落とさぬよう、必死の思いで運転して帰ったことを懐かしく語ってくれました。
耳をすませば多くの困難を乗り越えて、ここまで繋いでくれた方々のことを感じます。だからこそ今があり、これこそが私たちの大きな財産です。

大いなる志
住民の方々がインフラに求める考え方は、高度経済成長期とは大きく変わってきています。
人口減少に伴い、限られた税収でいかに効率よくインフラを維持することが求められます。また、昨今の気候変動や起こり得る大規模地震に備え、防災・減災の意識も高まっています。
今、昔のようなぬかるんだ道はまずありません。しかしながらインフラを取り巻く新たな課題は眼の前にあり、私たちはそれらを解決していく立場にあります。新たな技術にも果敢に挑戦し、地域住民の方々に寄り添い、先達の思いを引き継ぎながら新たな思いで立つことです。
大きな意味で地域の方々の生命、財産を守り、幸せのベースを築き、維持発展させていくこと、それは私たちの使命「道」であり今も昔も変わりません。
それは本来意識されるものでないもの、誰にも気づかれないことがあるべき姿なのかもしれません。
私たちは黒子なのかもしれない、でも私たちはそこに誇りを持ち、しっかりと世の中の土台を支え、地域の方々の幸せを支えていきたいと思うのです。

日々の営みを100年先まで支える
晴れやかな午後、心地よい風に吹かれて歩む道もあるでしょう。激しい雨の夜、不安を感じて家の窓から堤防を見つめることもあるかもしれない。雪上がりの朝、除雪された道に安堵し車のエンジンに火を入れることもありましょう。
私たちは晴れやかな気持ちを道で支え、激しい雨の不安を堤防で和らげ、行く手を阻む雪を取り除くのです。
私たちが造るものは穏やかな日も、厳しい日もそこに変わりなくあり続け、人知れず誰かを支えています。
そこに暮らす地域の方々の日々の営みは、一人ひとりにとってかけがえのないものであり、そこで生まれる喜びや悲しみすべてに、一人ひとりの「思い」が乗せられています。
わたしたちはそんな誰かの「思い」に寄り添い、つなぎ続ける、そんな存在であり続けたい。
新たな時代にどう応えるかは、私たち次第です。
日本の建設産業は希望という言葉がある限り、なくなることはありません。
未来を見つめ、誰かの役に立つこと、次の100年を目指すことが私たちの使命。
そこに私たち自身の幸せがあるのだと確信し、日々、新たな一歩を踏み出します。
